a.純粋な医学的事実

  「あなたの人生の原点は何ですか?」
  「あなたは自分の価値を、何を基準にして決めていますか?」

  私たちは、何かを原点にして生きています。また、毎日「私は素晴らしい」とか、「私は駄目だ」とか自分について判断しています。その原点、基準は何なのでしょうか。それがはっきりしなければ誰の人生を生きているのか分からなくなります。そして、そのために起こるストレスが心身相関を破壊していきます。

  人生の原点、価値の基準、それを知るために、質問をさせてください。
 「医学的に見て、人間は自分で生きているのですか? 生かされているのですか?」

  医学的に考えてください。この医学的にということがなによりも大切です。「生かされてる」と言うと「宗教ですか」と聞く人がいます。しかし、宗教や道徳の問題ではありません。

  宗教や道徳とは全く関係なく、純粋に医学的に考えて欲しいのです。「医学的な事実としてどちらですか?」ということです。

  心臓は1日に10万回動いています。1回といえども、自分で動かしていません。太陽も、酸素も、水も自分で作っていません。私たちは、医学的、科学的に、生かされて生きています。素晴らしい法則と美しい調和と優しい世界です。身体と地球と宇宙の3つの調和によって生かされています。道徳でも価値観でもなく、純粋な事実です。

 高性能の顕微鏡を自由に使えるようになったのは、1800年の中頃以降です。私たちが60兆個の細胞からできている事実を知ったのは、最近の150年間です。60兆個の細胞を数えるとしたら、どのぐらいの時間がかかるのでしょうか? 顕微鏡を見ながら、頭の先から1秒間に5個づつ数えます。食べないで寝ないで数えたとして、100年を4千回かかります。しかも1個の細胞は小宇宙です。これだけ多くの細胞がバラバラでは生きていけません。身体全体として調和して動くために、自律神経系、内分泌ホルモン系、免疫系などが働いています。

 腎臓には100万個の濾過装置があり、1本の腎動脈が100万本に分かれてその中に入り血液を濾過します。その後100万本の血管が濾過した尿を再吸収し、1本の腎静脈となって帰ってきます。左右の腎臓で1日に180リットル濾過し、178リットル再吸収し、2リットルが尿になります。凄いです。

 お母さんのお腹の中で、1個の受精卵が2個になり4個になり、遂には赤ちゃんとなり、おぎゃーと生まれ、ハイハイするようになり、喋るようになる。自分で心臓や肝臓や腎臓を作って生まれた赤ちゃんは一人としていません。一人の人間が生まれ、そして生きているということは、とてつもなく大変なことであり、素晴らしいことです。当たり前のように思っていますが、絶対に当たり前ではありません。偶然ではできません。完璧です。完璧で不思議な世界です。その中で生かされています。

 60兆個の細胞の素晴らしい法則と美しい調和で生かされている医学的事実を見つめていくと、私という存在の不思議さと素晴らしさを感じます。

 一匹の蚊を殺すことは簡単ですが、殺した蚊を生きかえさせることは、全世界の医者と、全世界の富を投入しても不可能です。命とは、それほど摩訶不思議なものであり、完璧です。偶然でできることではありません。生かされてる医学的事実の世界は、素晴らしくて、とっても不思議です。

しかし、自分で生きていると思い込んでいます。100%の妄想です。「自分で生きてる病」と呼んでいます。人間が作った差別ばかりの価値観や、競争社会の生き方では到底理解できません。私達は大きな生命の世界の中では、かけがえのない大切な存在です。これが本当の存在価値です。傷ついたり苦しむ必要などないのです。

  さらに、私たちが食べている食物はどうでしょうか。植物が二酸化酸素と水と太陽のエネルギーで炭水化物を作ります。また、窒素を取り込んでタンパク質を作ります。 また、酸素がなければ生きていけませんが、酸素も植物が二酸化酸素を取り込み酸素を作ってくれています。

  「私たちは、大きな生命の世界の中で、生かされて生きている」。これは宗教や道徳ではなくて、100%純粋な医学的事実です。 

 b.原点は、「生かされてる医学的事実」

  私たちは、人間の社会だけを原点にして生きています。しかし、この地球の上だけでも数数えられない動植物が生きています。人間は、その一つの種族に過ぎません。その人間の社会だけを原点とするのは変なことです。

  しかも、社会は変動します。10年もすれば変わります。100年もすれば全く違った社会になっています。日本でも、江戸時代、明治、大正、昭和、そして平成、令和へと変化しています。そのようなものを原点としていたら、常に変動とともに揺れ動き、とうてい原点にはなりません。

  「大きな生命の世界で生かされて、社会を営んでいる存在」、それが人間です。動植物は本能でもって生命の世界と調和しています。動植物の本能は実に素晴らしいもので、生きていくことを保証しています。人間は、本能から自由になったので、本能だけでは衣食住を得ることも、身の安全を確保することもできません。だから社会を営んでいます。社会は、基本的には衣食住と安全を得るためのものです。

  まして、まだ人間は、戦争をしたり飢餓の国があっても、自分たちだけは飽食をしています。まだまだ、人間の社会は未熟なものです。だから、社会は人間の手によってもっと良いものしてゆかなくてはならないものです。一人一人が「本当の自分」を生きることができる社会にして行かなくてはならないものです。決して人間の原点になるものではありません。

 c.私の価値は、「生かされてる世界」から来る

  私の本当の価値は、社会的な評価ではなくて、「生かされてる医学的事実」からくるものです。

  社会的に評価が良くても悪くても、私が自分を立派だと思おうと駄目だと絶望しようと、それとは関係なく、私は生かされてます。生かしてくれている生命の世界から見れば、「私は価値ある存在」だから命があるのです。「かけがえのない大切な存在」であり、「素晴らしい100点満点の存在」です。

  成績が良くても悪くても、若くても老人になっても、元気であろうと寝たきりになっても、肌の色が白くても黄色くても黒くても、どこの国に住んでいようとも、どんな宗教や道徳を信じていようとも、大きな生命の世界の中で、私たちは生かされています。
                                  
  社会的にはすべてを失っても、どんなに惨めでも、生かされてる世界から見れば「何もない私が素晴らしい」のです。「何にもない、何もできない、それでもこの私が素晴らしい」のです。一人一人が価値ある存在です。私の価値は、ここからくるものです。

  この発見があって始めて、この世に生まれたことを喜べるます。人生の解決になります。希望が見え自由を感じます。