自滅のシナリオの色々

コラム

自滅のシナリオの色々

◆目的は性格から自由になること

  この性格分析を学ぶ最終目的は何かということです。それは「性格を変えるのではなくて、性格を脱ぐ。性格から自由になる」ということです。

  これは、普通の心理学とはかけ離れたものですが、性格を変えようとか、コントロールしょうとかいうことは自己否定です。出口のない部屋になります。性格は作られたものですから衣装であり、衣装は脱げばいいのです。

  そんなことが可能かと思われるかもしれませんが、例えば皆様方にこれから3年間アフリカで遭難していただきます。象さんとか豹さんとかゴリラさんと一緒に3年間暮していただく。帰ってこられたら性格が変わってますね。

  あるいは、そんな原始的なところに行かなくても、アメリカで3年間一人で暮していただいたら随分変わります。あるいは明治時代に生れたら、あるいは江戸時代に生れたらと想像して下さい。皆さんの性格は全く変わっています。

  このように我々の性格は、持って生れたものではありません。環境が変われば変わります。衣装ですから脱げるはず。自由になれるはずです。

  そのためには自分の性格をよく理解し、自滅のシナリオの分析に上達して、小さい頃のカセットテープを解読をするというプロセスをこなす。慣れてくれば必要のない時には性格という衣装を脱ぐ、必要な時はまた着るという自由が得られます。

  性格から自由になるということが、この性格分析を学ぶ最終目的でなければなりません。


◆大人になるということは? 

  まず、大人になるということはどういうことかを考えましょう。赤ちゃんのときは、E(自己防衛本能)と、D(欲求充足本能)だけです。この二つの本能を満たすために、つまり安心と満足を与えるために、両親は付きっ切りで面倒をみます。

  大きくなるということはC(合理性)が発達してきて、A(きびしい親)やB(優しい親)を身に付け、社会の中で生きていく能力を身につけるということです。親の部分というのは社会性ということですから、社会性を身に付けるのが成長のプロセスだといえます。

  こんなにも人間の数が増え、圧倒的な力を持つと、人間も動物の一種であるということを忘れてしまいますが、動物として見れば、人間は非常に弱い動物です。

  わが家のタラちゃん(シャム猫)でも鋭い爪をもっています。オードリー(ピレネーズ犬)は大きな牙をもっています。鋭い爪も牙もない、走るのも木登りもたいしてうまくない人間は、集団生活をしない限り、自分の身を守ることも、楽しむこともできません。つまり社会の中で欲しい物や欲望を充足し、自分の身を守らねばならない。もう親が面倒をみてくれませんので、社会の中で自分でそれらを獲得しなくてはならないのです。

  だから、A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)がうまく成長しなければ、社会不適合が起こってくる、生きていくことが困難になってくるということになります。


◆自動車にたとえれば

  人間は、ものではありません。人間を物質と見ることは、大変な錯覚に陥ることになります。20世紀の最大の汚点だと思いますので、人間をものにたとえることは厳に謹みたいと思いますが、分かりやすくするために、あえて自動車にたとえますと、D(自由気ままな子供)はアクセルで、E(人の評価を気にする子供)はブレーキです。

  A(きびしい親)は交通規則であり、B(優しい親)は譲り合う気持ちです。C(合理性)は冷静さ、充実感がガソリンということになります。
  この他に、車体の構造の理解や点検が要りますが、これが成人病学、栄養学だと考えてください。

  アクセル(D:自由気ままな子供)だけでは自動車は暴走するだけです。ブレーキ(E:人の評価を気にする子供)だけでは自動車は止まったままです。しかし、アクセルとブレーキをうまく使ったとしても、それだけでは街の中を走れません。交通規則(A:きびしい親)を守らなければいたるところで衝突し、交通事故が起こります。

  また、ルールだけでは、自己主張の摩擦が多くギスギスとして、うまく車が流れず渋滞が起こります。譲り合う心、思いやり(B:優しい親)が必要です。さらに、冷静(C:合理性)でなければ、判断を誤り事故につながります。最後に、ガソリン(充実感)がなければ、自動車はただの箱で動けません。

  どの程度の速さで、どの程度の混雑の中を運転できるかは、A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)がうまく働いて初めて可能になります。社会性と合理性があって初めて、社会の中で自分を実現(自由気ままな子供)でき、自分を守る(気にする子供)ことができます。

 もし、A、B、C、D、Eが豊かに発育せず、充実感もなかったとしたらどうなるでしょうか? さまざまなトラブルがおこるでしょう。それが日常生活で見ている人間関係の悪化の原因です。

  では、性格は作られるものであり、すべての部分は必要な機能であるならば、なぜ社会の中でうまく生きられないのでしょうか。
  誰だって幸せな人生を願っているはずなのに、どうしてこんなにストレスが多く、疲れるのでしょうか。

  それを理解するために、自滅のシナリオについて深く考えてみたいと思います。自滅のシナリオとはどのようなものなのか、どのようにして作られたのか、どのようにすれば解決できるのかということです。性格の各タイプで説明して来ましたが、もう一度一般的な具体例を見てみましょう。


◆課長さんの怒り

  課長さんが、部下が失敗したといって大変なけんまくで怒っています。 「君、こんなことも出来ないようでは将来困るじゃないか。君はもっと優秀だと思って期待していたのに、僕の期待は裏切られたよ。」

  しかし、心のなかでは、「大変だ部長に怒らる。私の失敗になるぞ。私の昇進はどうなるのか」。

  その時、昇進して給料が上がって新車を買えるのが不意になったといって怒るのだったら、D(自由気ままな子供)がA(きびしい親)と結合したのですし、これで自分の将来がまずくなる、自分の立場がなくなるのではないかという自己防衛で怒ったら、E(人の評価を気にする子供)と結合したのです。

  D(自由気ままな子供)も、E(人の評価を気にする子供)も、A(きびしい親)も、「前進性」や「内面性、人の不安を思いやる心」や「一人一人が自由で平等であるためにルールを守る」というほんものではなく、自滅のシナリオになっています。

 課長さんのA(きびしい親)が相手の為か自分の為かは、部下にはよく分かるものです。自分の為のときは、いくら言ってもなかなか言うことを聞きません。ますます課長さんは腹が立って怒りますが、部下の心は離れて、チームワークでの仕事はうまくいかず、課長さんはますます怒る。部下の心はますます離れるということで、自滅のシナリオが動き出します。


◆肝硬変の患者さん

  肝硬変の患者さんがいて、「もうお酒を飲んだらいけませんよ」と医者に言われている。その方が、「先生、お酒好きですか?」と切りかえしてくる。
私はお酒を飲みませんから平気ですが、毎晩毎晩ネオンの街へ行かないとおられない先生ですと、「うーん」と詰まります。

  そしたら、「先生は、自分にも出来ないことを患者に言っているのです か!」と言い返す。それで、先生を黙らせて、この人はお酒を飲み続ける。楽しいお酒をなんとしても飲みたいがゆえに、相手を攻撃したということであれば、D(自由気ままな子供)がA(きびしい親)と結合したのです。

  一方、若造の医者に偉そうなことを言われては、自分のプライドが傷つく、自分を守り切れないということで攻撃したのであれば、E(人の評価を気にする子供)が傷つき、A(きびしい親)と結合したのです。もうお分かりのとおり、D(自由気ままな子供)も、E(人の評価を気にする子供)も、A(きびしい親)も、自滅のシナリオです。

  一時的には、好きなお酒が飲めるかもしれません。プライドは守れるかもしれません。しかし、相手の先生は、むーっとします。何度も繰り返されると、いかにいい先生であっても嫌になるでしょう。親身さが少なくなるでしょう。結局、この患者さんは孤立し、不安や不満がますます強くなり、誰に対してもさらに攻撃的になり、さらにお酒を必要とするようになり、自滅のシナリオが動き出すこととなります。


◆会議での提案

  会議で提案をします。自分の提案に反対する人がいる。むーっとします。この提案が通れば報奨金がでて、ヨットを買う予定にしていた。反対されて没になると楽しい計画がつぶれる、ということでむーっとしたのなら、D(自由気ままな子供)が妨げられて腹が立ったのです。

  一方、この提案が通れば、評価が上がり自分の立場が良くなる。安心できる。逆に反対されて没にされると、評価が下がり立場が悪くなる。生活が危なくなるということで腹が立ったのなら、E(人の評価を気にする子供)が危機を感じたのです。

  それでは困るので、相手を反撃します。しかし、客観的に見ると相手のほうが正しい。自分に非がある。しかし、不安と不満になっているので、なんとしてもこの提案を通したい。そこで、何年も前のことを思い出します。その時、相手は正しくない意見を言って失敗しています。これを利用して、「そんなことを言うが、以前も失敗したではないか。そのようなことを言う資格が君にはあるのか!」と、相手を黙らせてしまいます。

  しかし提案は通ったとしても、その提案が実地されたときに失敗が明らかになり、取り返しのつかない損害を与え決定的に評価が下がるので、自滅のシナリオになってしまいます。


◆ケーキやわいろ

  次は、B(優しい親)が自滅のシナリオになる場合です。これは、ケーキを持っていく時なんかまさにそうですね。何かものを頼む時、すみませんがとケーキを持って行く。

  手伝ってもらって、早く仕事を済ませて遊びに行きたいということならば、D(自由気ままな子供)がB(優しい親)と結合したのです。この人に手伝ってもらえれば、いい仕事が出来て自分の立場がよくなると自己防衛で持っていったなら、E(人の評価を気にする子供)がB(優しい親)に結合したのです。この程度は、かわいらしい事柄で、むしろ微笑しいぐらいです。

  しかし、これが賄賂となるとそうはいきません。仕事が成功して、楽しいことが出来る、ということならD(自由気ままな子供)、自分の立場を守るため、ということならE(人の評価を気にする子供)がB(優しい親)と結合したのです。賄賂が発覚したときのことを考えれば、文字通り自滅のシナリオです。


◆泥棒さん

  泥棒さんの場合です。泥棒さんが人のものを戴いて、海外へ行って遊びたいということであればD(自由気ままな子供)。
  そうではなくて家族を養わないといけない、止むに止まれず泥棒をしたというなら、E(人の評価を気にする子供)がC(合理性)と結合したものです。

 泥棒さんが、人目を避けるために深夜に忍び込む。音を立てずに雨戸を開ける。一つ一つは、実に合理的で冷静です。しかし、捕まってしまえば、もとも子もありません。
  だから当然ですが、これは、不安と不満がC(自己正当化、自己弁護)と結合した自滅のシナリオです。


◆自滅のシナリオは非合理的

  自滅のシナリオの特徴は非合理的であるということです。
  泥棒さんの場合を考えてみましょう。人の居ないことを確かめ、夜忍び込むなど、一つ一つの行動は合理的ですが、捕まったら元もこもない。何故そんなことをするかということ、それは自滅のシナリオが動いてるからで非合理的です。

  それから肝硬変の患者さんの場合でも、医者の言うことを聞いていれば助かるのに、揚げ足を取ったり、逆襲したりして何の得になるのでしょう。お酒を飲み続ければ命がなくなる。医者との人間関係が悪くなれば病院へも行きづらくなります。

  また、会議の席で自分の提案を無理して通しても、実際にその提案が実行されれば欠陥が出てきて自分の信用を失うだけです。また、ケーキを 持っていくのはむしろ潤滑油になっていいかもしれませんが、賄賂となれば身の破滅です。

 「自滅のシナリオが動いている時は、非合理的」、これが自滅のシナリオを見抜くこつです。非合理的な感じがしたら、「自滅のシナリオ!」と見抜く、これを繰り返し練習をすると上達します。


◆自滅のシナリオは、子供の時に作られる

  次は、自滅のシナリオはいつ作られるかということです。それは子供の時につくられます。大きくなってからでは色々な出来事が起こってもそんなにこたえませんが、小さい時には非常にこたえます。

  例えば親が冗談で「この子はいらない子よ」と言う。親にとってはごく軽い気持で冗談半分で言ったとしても、親以外に頼るものがない子供にとっては深刻です。親に見離されたら生きていけませんから、こんな言葉でも非常にこたえます。

  小さな頃の思い出を振り返ってみると、色々なエピソードがあります。これが親からのメッセージとして、性格の形成に決定的な役割を演じるのです。

  特に、人間は犬や猫と違って未完成のままで生れてきます。それだけに性格は、後天的な環境による影響が著しいと考えられます。小さい頃の思い出、様々なエピソードが積もり積もって性格を形成しています。自滅のシナリオの基本的なパターンもその頃に形成されています。

  人と親しくなると、わざわざトラブルを起こして信頼を壊してしまう。そういう人がいます。なぜ何時もこんなことになるのだろうかと考えると、小さな時に、お父さんが人を信用してそれで倒産した。「人は信用出来ん、信用してはいけない」と言い続けた。それがカセットテープに入っている。だから、親しくなると警戒心が働き不安になって、離れようとするのでしょう。無意識に大人になってからもこのテープが回るのです。