• ふとした優しさ

  • 私達は普段、自分のことばかり考えています。そして、お互いを追い込み苦しんでいます。しかし、大きな生命の世界は、かぎりなく優しいです。そして、私達の中にも、優しいのが好きな自分がいます。ふとしさ優しさの自分と呼んでいます。自分には出来過ぎの自分、自分を超えた自分、不思議な自分です。
  • ふとした優しさの自分を感じている時、不安も不満も傷つく自分もありません。将来の不安も、死の不安も消えています。不思議です。楽しさと嬉しさに包まれます。やはり不思議です。妄想でも、切り捨てでもありません。頭カラッポの丹田呼吸法と生かされてる医学的事実の世界だけです。これは実存です。
  • ふとしさ優しさの自分。その自分が好きで、その自分を生きたいと思えたら、嬉しいことです。その自分なら、自分を目一杯生きて、周りの人を幸せにできるからです。大きな生命の世界の中で医学的、科学的に自分の存在価値を実感できたら、不安や不満になることも、傷つくこともありません。その自分を生きられます。
  • 優しい自分がいます。しかしそれは見返りを期待する優しさです。それを見ると自己嫌悪に陥り捨てたくなります。ただその中に、「ふと」したものですが、本当の優しさがあります。それを捕まえることが出来れば、喜びと希望になります。その方法は、ふとした優しさと世間的な優しさを峻別することです。
  • ふとした優しさは、誰にでも何処にでもありますが、性格と世間の価値観の中にいる限りは明確にできません。性格分析で自分を縛っているものを明らかにし、頭をカラッポにする丹田呼吸法と大きな生命の世界の中で医学的に自分の存在価値を実感できれば峻別できるようになります。生きる喜びと希望です。
  • 生かされてる医学的事実の世界は、不思議です。素晴らしい法則と美しい調和で生かしてくれています。しかも無償で無条件です。私達の中にも、ふとした優しさがあります。不思議な優しさです。この優しさが好きです。この不思議さだけを生きて行きたいです。それが生かされてる医学の目的であり願いです。
  • 裏切られる愛、一時的な愛などいらない。つかの間の安心も役に立ちません。すぐに揺らぐ自信もいりません。しかし求め続けます。自分分析を学ぶと、自分のことしか考えられない自分が、同じような相手に求め続けていることが分かります。絶望する時もあります。それだけに、ふとした優しさは不思議です。

  • 「自分を生きたい自分」を選ぶと、社会適応ができず自滅します。「社会適応しようとする自分」を選ぶと、自分が窒息し自滅します。どちらへも行けません。諦めの人生です。両方を満たすものは、ふとした優しさの自分です。ふとした優しさの自分は、頭カラッポの丹田呼吸法と生かされてる医学的事実の世界で大きく育ちます。楽しく嬉しいです。
  • 「優しいのは好きですか? 優しく生きたいですか?」という問いに、「はい。」と答えられた人は、是非その自分を生きましょう。社会は競争社会ですから、優しさは役に立ちません。しかし、優しく生きたい自分は素晴らしい自分です。それ以上のものは存在しません。何としてもその自分を生きましょう。
  • ふとした優しさを捕まえる方法です。かわいそうだと思った最初の1秒間、何とかしてあげたいと思った最初の1秒間、笑顔を見て良かったなと思った最初の1秒間を捕まえて下さい。その後は、「現実は変えない」という鉄則に従って、今までと同じようにしてください。最初の1秒間がふとした優しさです。
  • 優しさは、どこにでもありますが、殆どは自分のための優しさです。自己否定して、すべてを捨ててしまいたくなります。しかし、その中に砂金のようにふとした優しさが含まれています。砂金を集め続ければ大きい塊になります。確信を持てるようになります。最初の1秒間のふとした優しさを集めましょう。
  • ふとした優しさは、不思議な優しさです。自分を超えています。自分のことしか考えられない自分の中から出てきたとは思えません。自分にはでき過ぎの優しさです。しかし確かに自分の中にあります。その優しさが好きです。その自分を生きていきたいと思います。その時、本当の自分を生きていると感じます。
  • 「優しさでは生きていけませんよ。強くならないといけません!」という人は多いです。そのような言葉に決して負けないで下さい。 ふとした優しさは、不思議です。不安も不満も傷ついた自分も消えます。過去がなくなり、生き生きと生きている自分を感じます。不思議な優しさに満たされます。愛や存在価値を人からもらう必要がなくなり、笑顔を見るのが嬉しい自分だけになります。自分の持てる能力を活かして、社会の分業に参加するだけです。してあげたい自分だけです。 強くなるとは、戦って勝つことです。K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)です。Kで本当に強く生きていけるでしょうか。Kは必ず、Kの不安を伴います。常に勝ち続けることは不可能だからです。自滅のシナリオです。 なぜ、自分も人も不幸にすることを勧めるのでしょうか。 第一に、親が子供を心配して言う場合があります。競争社会で生きていくためには、強く生きなければと思って言います。しかし、新型ストレスで苦しむ子供には、逆効果になり追い詰めることになることを知らなければならない時代です。 第二には、Kの人です。Kは、人よりも常に優位に立っていなければなりません。優しさだけでは駄目だよというのは、親切のように見えても、人を否定して、優越感を得る方法になっています。 第三に、確かに優しさだけでは、競争社会で生きていけません。それは確かです。しかし、優しさと、生かされてる医学的事実があれば大丈夫です。 優しさが好きな人であれば、自分のための優しさもありますが、見返りを期待しないふとした優しさも持っています。 人間は、大きな生命の世界の中で、医学的に生かされて、衣食住と身の安全を得るために社会を営んでいる存在であり、人間の価値は生かされてる医学的事実から来ることを理解できれば、ふとした優しさを生きることが出来るようになります。自由自在の生き方、無尽蔵の生き方ができるようになります。 「優しさでは生きていけないですよ。」というKの言葉に決して負けないで下さい。Kに未来はありません。優しさには、自分も大事な人も世界も幸せにできる素晴らしい、嬉しい未来が開けています。
  • 優しさは素晴らしいものです。ただ、その優しさの多くは自分のための優しさです。それを見ると喜べません。自信も持てません。
    しかし、その中に、ほんの少しですが、自分のためではない優しさがあります。ふとしたもので、すぐに消えてしまうものですが、それを、ふとした優しさの自分(Y)と呼んでいます。
    ふとした優しさは、本当に不思議な優しさです。それを感じた時、不安も不満も傷ついた自分も消えます。過去の自分、セルフイメージ、性格が消えます。しかも、生き生きとした自分を感じます。勇気もでます。物事も解決できます。
    勿論それは、残念なことに、ふとでしかありません。どうすれば、ふとした優しさを育てられるのでしょうか。
    それが、生かされてる医学的事実です。人間は、大きな生命の世界の中で、医学的に生かされて、衣食住と身の安全を得るために社会を営んでいる存在です。人間の本当の価値は、生かされてる医学的事実から来ます。社会的存在価値は、衣食住と身の安全を得るためのもので、人間の本当の価値を決めるものではありません。
    社会的存在価値を本当の存在価値だと思いこんでいるかぎり、競争社会から自由になれません。ふとした優しさも、普通の優しさも、競争社会を生きるためには役に立たないものとして捨てられます。
    優しさが好きで、優しさを生きていきたいと思っても、優しく生きることはできません。
    しかし、それでは、自分も、子供たちも壊れていきます。折角、優しさが好きなのですから、優しさを生きましょう。それには、普通の優しさから、ふとした優しさを分離することと、人間の存在価値は生かされてる医学的事実から来ることを理解すれば良いのです。
    自由自在、無尽蔵の楽しくて嬉しい生き方が開けてきます。
  •  優しさが好きです。優しく生きていきたいです。優しさで人々と繋がりたいです。優しい世界を作りたいです。特に、子供たちにのためには、優しい世界にしたいです。  しかし、優しさだけでは、できません。もう一つ必要なものがあります。優しさが本当に力強いものになり、優しさが好きな人々との繋がりが、うねりを持って世界に広がるためには、生かされてる医学的事実が必要です。  私たちは、自分のことしか考えられない自分で生きています。優しさも、自分のための優しさになります。自分のための優しさでは、お互いが繋がることはできません。  世界中の人々は、優しく有りたいと思っています。特に、子供たちのためには、優しい世界を作りたいと思っています。しかし、優しさだけでは、国益や民族や宗教や皮膚の色を超えられません。むしろ、それらが紛争の火種になっています。  さらに、世界は、資本主義による利潤目的の競争で動いています。産業革命に成功して、物質的には大変豊かになったのに、利潤中心の競争社会の価値観は、むしろ格差を拡大して、優しい心を壊しています。  悲しいことです。残念なことです。無念なことです。しかし、生かされてる医学的事実があれば、これらを超えることが可能です。  人間は、大きな生命の世界の中で医学的、科学的に生かされていて、衣食住と身の安全を得るために社会を営んでいます。私たちの本当の存在価値を決めるものは、社会的存在価値ではなく、大きな生命の世界の中で医学的、科学的に生かされていることです。大きな生命の世界の中では、誰でもが、素晴らしい法則と美しい調和で生かされているかけがえのない存在です。    しかも、優しさが好きな自分と、生かされてる医学的事実は、特殊なことではありません。特別な才能や能力を持った人だけが持つものではありません。世界中の誰にもあります。私の中にもあり、周りの人の中にもあり、世界中のどの人の中にもあります。  優しさに、もう一つ、「人間の価値は生かされてる医学的事実から来る」を加えれば、優しさは力強いものになります。世界中の人と繋がれるものになります。優しい世界が実現します。  そんなものは夢物語だと、言われるでしょう。1%の可能性しかないかもしれません。なら、100倍にすればよいのです。0.1%の可能性しかないのなら、1000倍にすればできるのです。  自分のことしか考えられない自分と、国や民族や宗教の対立と、資本の論理のままでは、可能性はゼロです。私たちの悲しみは、かぎりなく深まり、諦めは果てしなく世界に拡散していくだけです。  優しさを捨てたくありません。優しさを諦めたくありません。社会的存在価値は、衣食住と身の安全のためには大事だとしても、人間の価値を決めるものは大きな生命の世界の中で医学的、科学的に生かされてい事実です。  優しさは、すべての人にあります。生かされてる医学的事実は、誰にとっても事実です。この二つで持って繋がることは、簡単です。インターネットがあります。昔なら、100年かかったことも、現在では1日でできます。  優しさと、生かされてる医学的事実の二つで繋がって、優しい世界を作りましょう。
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