生かされてる医学の5つの発見


◆現代人の「5つの間違い」

1.自分で生きている
2.人間は偶然によって発生した
3.死んだら灰になっておしまい
4.自分の価値は社会的評価
5.他人の山を登るのが生きる道

 これらは、私達の常識ではありますが、医学的には、なんの根拠も証明もありません。私たちが信じ込んでいるだけにすぎません。

 第1に、私たちは、「自分で生きている」と信じています。しかし、 それは完全な誤りです。人間の身体は60兆個の細胞でできています。1個の受精卵から分裂し増加したのですが、1個といえど、自分で増やした覚えはありま せん。心臓は1日に10万回動いていますが、1回といえど自分で動かしたことはありません。太陽も酸素も水も、自分で作ってはいません。生かされて生きているというのは、純粋に医学的・科学的事実です。

 しかし、「自分で生きている」と信じているのですから、自分で自分の命を守らなければならないという不安と恐怖、緊張と強迫観念に常に縛られます。このことが、心身相関を悪化させ体調不良を起こします。

 第2には、「偶然によって、アミノ酸や核酸ができ、細胞になり、魚 になり、動物になり、猿になり、人間になった」、そう信じています。しかし、それは証明されていません。科学は、再現できるという保証が必要ですが、再現のために、あまりにも長い年月を必要とするために証明できません。

 なによりも、それが偶然によるものか、必然かという問題は、科学の対象にはなりません。科学は、事実についての関係や法則を明らかにする学問であって、その関係や法則ができたのが、偶然の結果か必然によるものかを判断することはできません。

 しかし、「偶然によって発生した」と信じているのですから、自分も偶然の産物でしかありません。自分の存在価値も偶然でしかありません。それでは、自分を喜べるはずはありません。常に、自信のない自分になります。

 第3には、「死んだら灰になっておしまい」、そう信じ込んでいます。それは、「身体から私は発生した、だから身体の死は、私の死である」と信じているのですが、唯物論という一つの考えであり、科学的な証明は一切ありません。

 科学は、長さと重さと速さ がある物を対象とする学問です。測定できる身体は対象にできますが、測定できない「私」や私の精神は対象にできません。私や精神が、身体から発生したのか どうかは、実験できないので、証明ができないのです。

 しかし、「死んだらおしまい」を信じているのですから、すべては虚無です。何をしても空しいのです。死は、最大のストレスです。

 意識的に、現代人は、死を 直視することを避けようとしていますが、それだけに、死の不安は無意識の世界で広がり、はっきりとは原因がわからないうちに、生きるエネルギーが奪われていきます。 人生が、灰色に染まっていきます。

 第4には、「自分の価値は、社会の評価だ」と信じています。しかし、それは誤りです。私達は大きな生命の世界の中で医学的、科学的に素晴らしい法則と美しい調和とかぎりない優しさで生かされていて、衣食住と身の安全を得るために社会を営んでいる存在です。社会的存在価値は、ご飯を得るためには大切なものであり必要なのもですが、本当の人間の存在価値は、大きな生命の世界で医学的に生かされている事実からくるものです。

 しかも、社会は、10年もすれば変わってしまいます。さらに、社会の評価が、自分の価値である以上、成功しなくてはなりません。一回の成功では駄目で、成功し続けなければなりません。日本が、発展途上国の時に は、まだ可能だったかもしれませんが、現代のように、落ちていく国になれば、成功し続けることなど、もはや不可能です。

 しかし、その時その時に変化し不安定な社会が、人間の価値を決めるものだと信じているのですから、いつも人の眼が気になります。いつも不安定です。真面目であればあるほど、うつ病になります。

 第5に は、「他人の山」を登るのは、社会適応の生き方です。貧しい時代は、ご飯が食べられるだけで喜びですから、「他人の山」を登る生き方もできました。豊かな 時代になり、自我が大きくなりました。社会適応することは、自分を抑えることですから喜べません。

 社会的適応しようとする自分と、自分を生きたい自分が、常に葛藤し苦しみます。 新型ストレスです。永遠に葛藤を繰り返し、やがて諦めの人生になります。

 このように、自分で自分の命を守るしかないという不安。しかも、自分は偶然の産物 に過ぎなく、大して価値の無い存在。さらに、決定的なことは、死んだら灰になっておしまいという虚無。そのなかで、社会の評価ばかりを気にして、「他人の山」を登り 続けている人間。それが、現代の私たちです。

 この現代人の5つの間違いの中にあって、私たちは、自由で、爽やかに、ウキウキとして、楽しく生きることなど到底できません。孤立と孤独、不安と不満と傷つく自分になって苦しまざるをえません。それは、当然のことと言えば当然なのです。

 豊かで自由な国に住んでいるのに、あまりにも悲しいことですが、解決することも脱出することもできません。現代人は、このまま、衰退して、滅びていくことになります。なによりも悲しいのは、その希望のない人生、生きる感動の少なくなった日々の影響は、子供たちに強くでることです。多くの子供たちを苦しめていることです。

 それが、事実であるのならまだしも、事実でも真実でもないもののために、衰退していくのだとしたら、充実感を失い、人生が暗くなっていくのだとしたら、悔しいことです。

 では、事実とはどのようなものでしょうか。単なるお話でも、自己説得でもなく、医学的に事実を確認することが大切です。

 顕微鏡が使えるようになったのは、やっと150年前からです。 この150年に私達が知り得た事実は、素晴らしいものです。この医学的事実に立って真実を知りましょう。それが「かぎりなく優しい医学的事実の世界」です。これによって、「7つの自由」を得ることを目指します。

1.世間体からの自由
2.人間関係からの自由
3.性格からの自由
4.過去からの自由
5.孤独からの自由
6.病気からの自由
7.老いと死からの自由

 医学的事実の世界と7つの自由を、「本当の自分」と「優しい自分」を生きたい人の心身医学 http://www.yuf.jp で学んでください。